2015年07月14日

一丁目はジェームス・ブラウン

この日BSで日本の芸能史を振り返るという番組を録画しておいたのを観ました。ビートたけしさんと所ジョージさんという進行役に加え、今回はテーマがコントということでゲストに志村けんさんが出ていました。何でもこの3人が同時に揃うというのは初めてだということです(それぞれ2人の組み合わせは観たことありますね)。

てんぷくトリオや脱線トリオといった私の生まれる前の白黒の時代の映像に始まって、コントと言えばトリオだった常識を覆した萩本欽一さんのコント55号など、大変懐かしい映像でとても面白かったです。ちなみに萩本欽一さんは最近日経新聞の「私の履歴書」でコメディアン初の寄稿ということで、これもまた面白く読ませてもらいました。

さてその志村けんさんですが、東村山音頭についてちょっとした裏話を紹介してくれました。いつもいかりや長介さんに東村山という田舎出身で馬鹿にされていたことに対し、普段から口ずさんでいたのが四丁目の歌だということです。いかりや長介さんに「おっ、それいいな」ということで採用され、「次作れ」と言われてできたのが三丁目だそうです。

いずれも受けが良かったので次ということになり、二丁目はないなということで一丁目を考えた時、当時好きでよく聴いていたジェームス・ブラウンをヒントにしたそうです。あぁなるほど、あの「ワーオ」という叫びはそこから来ていたのだなと大きく頷きました。曲調のネタが尽きたせいか、ほとんどメロディーになっていませんよね。

もともと志村けんさんはこうした音楽センスに溢れていて、例えば「ドリフの全員集合」の後半のコーナーで聖歌隊の姿で歌う早口言葉はダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイの「Don't Knock My Love」がベースですし、ヒゲダンスのBGMは「Do Me」という曲を音楽担当者に編曲を依頼したとのことです(これらはこの番組では紹介されていません)。

いずれも大変貴重な情報と映像だと思います。ドリフ関係は今でも車の中で聴いていますが、由利徹さんの映像は実に数十年ぶりでしたね。記憶の中だけにあったものを今こうして実際に観ることができる、実に良い時代になったものです。









posted by bourbon_ueda at 00:00 | Comment(0) | 音楽
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