2013年01月11日

高速道建設に思うこと

中部横断道というと中央道と東名道を結ぶ方にばかり意識が行っていましたが、ここ最近にわかに中央道と上信越道を結ぶルートが関心の的になっています。ここ八ヶ岳南麓を通るということで、一端提示されたルートがこの度変更され、元のルートの住民と同様、当然新しいルートの住民から反対運動が起こっています。いずれのルートにしても同じ八ヶ岳南麓、地元民として無関心ではいられません。

この中央道から上の横断道、長野の方は賛成している人が多いようですが、山梨側のこの地元住民の間ではいろいろな意見があるようです。景観とか自然とか騒音とかが争点になりますが、概して好き好んでこの地に移り住んだ人と、否応なしにこの地に住まざるを得ない人との温度差に尽きると思います。

さてそこで、こうした問題は感情的になっては何も解決しないので、冷静に、論理的に物事を考える必要があります。個人的な意見はさておいて、客観的な情報からいろいろ考えることにしましょう。まず建設を推進する側の根拠として、地域の活性化という言葉がよく用いられます。産業における流通経路が整備され、ここで言うと農産物の出荷がスムーズになり、観光客も押し寄せるといった論調です。建設することが地域のためになりますということです。

誰もが反対しそうもないこの「地域の活性化」というスローガンですが、果たしてそれはもともと何を意味するのかを考えなくてはなりません。地域の活性化=経済的な豊かさということであれば話は単純ですが、豊かさとは経済的なことだけなのかという観点も必要です。一人当たりGDPが増えても幸福度が高まらないというのは各種調査でも明らかですし、ブータンのように国内総生産ではなく国民総幸福を豊かさの指標としている国もあります。

しかしそれは個人の価値観の問題ですから、経済的な豊かさがすべてであるという考え方もあるでしょう。すると、道路建設が実際に経済的な豊かさをもたらすかということを考えなければなりません。道路を造ってその地域が経済的に豊かになったという事例を推進側は示す必要があるわけですが、肝心なのはその時代です。現在の人口が減り、市場が縮小し、通信網が整備され、価値観が多様化する経済環境においてそういう成功事例があるのかということが必要で、昭和40年代の事例を持ち出されても説得力がありません。

そしてもし仮に現代での成功事例があるとして、最後は民意の反映がどれほど正確になされているかです。地元の住民であからさまに反対していない理由として、行政へ抵抗することへの躊躇が考えられます。実際この地域に限らず、役所やその意向に沿った住民、あるいはその方針に利害関係のある住民から嫌がらせや村八分にされたという話は昔からあります(東京のど真ん中でもあります)。

くれぐれも推進する側は合理的な説明を、反対する側は地域エゴではなくやはり合理的な理由でもって取り組む必要があると思います。感情論では解決しません。前例主義でも通用しません。マネジメント理論でいうところの、ダブルループ学習が必要です。
posted by bourbon_ueda at 00:00 | Comment(0) | 田舎暮らし
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